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> 追悼文 日本病理学会名誉会員 故田中健藏先生
日本病理学会名誉会員 田中健藏先生は、福岡歯科大学理事長として毎日の激務をこなしておられましたが、左大腿骨頭頸部骨折の手術待機中に、平成27年2月11日、突然の誤嚥に続く嚥下性肺炎のためご享年92歳で急逝されました。超人的な人生を歩んで来られた田中先生のご訃報は、ご遺族のみならずご指導頂いた門下生をはじめ多くの人達にとって、正に青天の霹靂とも言うべき驚きでした。ここに謹んで哀悼の意を表させて頂きます。
先生は、大正11年11月7日に東京市日本橋区にお生まれになり、翌年に発生した関東大震災後にご家族とともに佐世保に移られ、旧制佐賀高等学校を経て、昭和21年に九州大学医学部をご卒業後、外科学教室第1講座に入局され、昭和23年に大学院特別研究生前期を終了されました。昭和28年に同大学医学部附属結核研修所(後の胸部疾患研究施設)助教授、昭和38年に故今井 環先生の後任として同大学病理学教室第1講座教授に就任されました。昭和35年から1年半、フルブライト留学生として米国ハーバード大学医学部に留学され、Ira Gore教授のもとで動脈硬化の研究を始められました。フィブリンの生物学的ならびに病理学的意義に着目され、動脈硬化症のみならず血栓・塞栓症、血管炎、癌の浸潤・転移機構等における凝固・線溶系の臨床病理学的意義に関する研究へと発展され多くの優れた業績を挙げられました。とりわけ動脈硬化の発生・進展における血栓説、播種性血管内凝固症候群の臨床病理学的研究、癌の転移・浸潤機構における組織因子と線溶アクチベーターの病理学的ならびに分子細胞学的研究が特筆されます。昭和52年4月に日本病理学会宿題報告(病理学会賞)「線溶現象の病理学的研究」として、それ迄の研究成果を報告され学会員に深い感銘を与えられました。これらのご業績は動的病理学の端緒として国内外で大変注目され、昭和56年のGordonカンファレンスをはじめ多くの国際シンポジウムや学会に招聘され講演されました。
先生は、日本病理学会をはじめ多くの学会の理事を務められて多分野にわたる学術振興に大きく貢献され、また日本血栓止血学会、日本動脈硬化学会や日本老年病学会の会長、会頭も務められました。これらの研究を通して多くの優れた人材を育成、輩出され、現在、先生の薫陶を受けた数多くの門下生が我国の基礎、臨床医学のリーダーとして活躍しておられます。
昭和56年11月には九州大学学長に就任され、大学の管理・運営や我国の教育改革に取り組まれ、我国の高等教育の改善に大きな足跡を残されました。九州大学をご退官後も九州交響楽団理事長、福岡歯科学園理事長等の多くの要職に就かれ、教育、福祉と文化の振興・発展に貢献されました。これらのご業績に対して、昭和53年に西日本文化賞、昭和62年に日本動脈硬化学会大島賞、平成18年には全国学士会「文化国際部門」アカデミア賞を受賞され、また平成8年に勲一等瑞宝章を顕彰されておられます。
思いもよらないご急逝に接し、あれこれと募る思いが尽きませんが、ここに本学会会員の敬愛を集められた田中健藏先生のご遺徳とご功績を偲び、心より感謝の意を捧げますとともに謹んで先生のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
九州大学大学院医学研究院
病理病態学分野(旧第1病理)
前教授 居石 克夫