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> 菊池昌弘先生のご逝去を悼む
本学会名誉会員、元理事菊池昌弘先生は、2012年4月28日、悪性リンパ腫に肺炎を併発し逝去されました。享年78歳でした。
菊池先生は1934年北九州門司でお生まれになりました。1958年に九州大学医学部をご卒業後、橋本美智夫教授の病理学教室に入門し、血液疾患の研究に没頭されました。1966年ドイツKiel大学のLennert教授の下に留学し、脾臓の病理学的研究で多くの成果を上げられました。帰国後、遠城寺宗知教授の下で、助教授に昇進し、リンパ節病変を中心にして血液病理の研究を幅広く行われました。
1973年に39歳の若さで、福岡大学医学部病理学教授に就任されましたが、当時の福大医学部で最年少の教授でした。その後、49歳で医学部長、55歳で福岡大学病院長、65歳で副学長に就任し、常に福岡大学の中枢で要職を務め、大学の発展に尽力されました。この間にも、日本リンパ網内系学会理事長、日本血液学会理事、国際病理アカデミー日本支部理事など多くの学会で重要な役職を務められました。
さらに、菊池先生は二つの医療法人、村上華林堂病院および村上記念病院の理事長として、病院経営に卓抜した手腕を発揮するとともに、中津市の老舗である「むろや醤油株式会社」の経営を立て直し、実業家としても大きな成果を上げられました。
このように菊池先生は多方面で縦横無尽に活躍されましたが、最大の功績はもちろん血液病理学の研究にあり、特筆すべきは菊池・藤本病の発見と病態の解明です。
今も鮮明に思い出されますのは、1970年に、九州大学医学部第二病理学の古ぼけた木造の研究室の中で、私が先生から指導を受けていた時のことです。先生は、「非常に珍しいリンパ節の病変を見つけたよ。悪性リンパ腫と紛らわしい組織像を示している特殊なリンパ節炎で、文献にも載っていない。」と嬉しそうに話しておられました。
その後、この研究をまとめて、1972年の日本血液学会誌に「特異な組織像を呈するリンパ節炎について」として、歴史に残る発表がなされました。ほぼ同時期に藤本吉秀らが「頚部の亜急性壊死性リンパ節炎―新しい病態の提唱」を発表しました。そして現在では、この疾患は組織球性壊死性リンパ節炎、菊池病 ないし 菊池・藤本病と呼ばれるようになりました。先生の偉いところは、日本以外にも必ず本疾患が存在すると考え、それを確かめるために、単身ドイツに渡って調査したことです。先生は1979年に、旧知のLennert教授を訪れ、Kiel大学病理学で膨大な数のリンパ節標本を再検討した結果、ヨーロッパにおいても同様のリンパ節炎があることを確認しました。帰国後、先生は「ドイツにも全く同じリンパ節炎があったよ。」と仰り、自分の仮説を証明できたことに非常に満足そうでした。
Lennert教授はこの研究成果をきわめて高く評価し、1982年秋のドイツ病理学会において、初めてKikuchi's lymphadenitisという名称を用いて特別講演を行いました。当時、私はA.v. Humboldt財団研究員としてドイツに留学中でしたので、その講演を聴く機会を得ましたが、Lennert先生は本疾患が悪性リンパ腫と鑑別すべき重要な病変であり、 new disease entityであることを強調しました。これが契機となって、欧米でKikuchi's disease/ lymphadenitisの名称が急速に広まり、全世界的に研究が進められるようになりました。
菊池・藤本病を良性のリンパ節炎として確立した意義は非常に大きく、日本発の血液病理学の金字塔として、医学史の中に、末長く輝き続けるに違いありません。私どもは菊池先生の偉大な業績とご生前のご指導に対し、心より感謝と尊敬の念を捧げ、ご冥福をお祈り致します。
2012年7月27日
門下生を代表して、
福岡大学医学部総合医学研究センター病理学
岩 崎 宏