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山口和克先生のご逝去を悼む

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 本学会名誉会員、元理事山口和克先生には、2012年2月14日,残胃癌再発のため逝去されました。享年75歳でした。

 先生は1937年福井市でお生まれになり、1961年東京大学医学部を卒業され、同大学院に進学、大学院在学中に米国New York州Maimonides Hospitalおよび Downstate Medical Center で3年間、主として病理診断学と腫瘍病理学の研鑽をつまれました。ご帰国後は東京大学医学部助手、同医科学研究所助教授、医学部助教授を歴任され、次いで1988年からは関東逓信病院病理学検査科部長、ついで杏林大学病理学教室主任教授の要職を勤められました。2002年に杏林大学を定年退職され、その後昨年末まで(株)PCL Japan の顧問をお勤めになりました。

 先生は留学中に培われた幅広い診断学、腫瘍学の素養を基礎とされ、また指導教官であられた東京大学太田邦夫先生、聖路加病院山中晃先生をはじめとする診断病理学領域の諸家の強い影響の中で育たれ、30歳代以降は時代を画した我が国の代表的な病理診断学者(外科病理学者)として一生をお過ごしになりました。先生は、呼吸器病理、婦人科病理、リンパ網内系など、多岐にわたる領域で、今日なお評価の高い業績をのこされました。とりわけ、藤本吉秀教授と共同で亜急性壊死性リンパ節炎の疾患概念を作り上げられたことが特筆されます。先生方の論文は広く世界の認めるところとなり、今日あらゆる病理の教科書に、論文の筆頭者であった藤本教授と、同時代に同様の概念を提唱された福岡大学故菊池昌宏教授の名を冠してKikuchi-Fujimoto 病として記載されております。とはいえ、先生がもっとも意としておられたところは日常の病理診断でした。先生が所属された施設ではどこでも、先生の診断病理への真摯なうちこみに強い影響を受けて、多くの若い診断病理医が育ちました。先生の診断に対する考え方や技法、思い入れが多くの後輩たちを引きつけ、彼らによって今も広く、またあつく継承されております。

 一方で先生は本学会理事、また日本病理医協会会長として病理診断学の振興に力を尽くされました。先生が前面に立って尽力されたのは病理が標榜科として認知される前の困難な時期でしたが、石河利隆先生をはじめとする同志の方々と一緒に、病理の認知をめざして関係諸機関と辛抱つよい折衝を繰り返され、今日の状況の礎を作られました。さらに先生は雑誌「病理と臨床」の創設、立ち上げに深く関わられ、長く常任編集委員を担当されるなどして、外科病理の知識の普及に貢献されました。

 先生はフルートを愛好され、写真の領域でも専門家並みの技量をお持ちでした。先生の毎年の発表会,展示会、あるいは賀状などに魅了されたフアンは数知れません。先生はご家庭を大切にされ、最後の日々までお孫さんを慈しんでおられたと伺っております。万感の思いをこめて、先生のご冥福をお祈りいたします。

森 茂郎

(本文は、椙村春彦、長谷川章雄会員が最近書かれた山口和克先生への英文追悼文obituary を、一部ふまえております。)