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渡辺陽之輔先生のご逝去を悼む

慶應義塾大学医学部病理学教室
教授 岡田 保典

 日本病理学会名誉会員、慶應義塾大学名誉教授、渡辺陽之輔先生は平成23年5月1日、呼吸不全のためご逝去されました。享年86歳でした。  渡辺陽之輔先生は、大正13年12月5日に東京都千代田区神田でお生まれになりました。昭和22年に慶應義塾大学医学部を卒業後、臨床実地修練の後に、昭和24年には病理学教室助手、次いで講師に昇任され、昭和35年に米国ロスアンジェルス・カリフォルニア大学医学部病理学教室に1年間ご留学され、帰国後助教授に昇任されております。昭和51年には、慶應義塾大学医学部病理学教授に就任され、平成2年に定年退職されるまで、実に41年間にわたり病理学教室に在籍されるともに、15年間にわたって病理学教室を主宰され、研究、教育、病理診断業務に尽力されました。また、定年退職後には、慶應義塾大学名誉教授として後輩の指導とともに、中国・瀋陽市の中国医科大学において中国医学研究センター主席顧問として5年間あまりにわたって教鞭を取られ、この間に多くの優れた中国人の医学研究者を育成されました。  
 先生のご専門は血液病理学であり、特に血液細胞や白血病細胞の電子顕微鏡的研究では、この分野の創始者・権威者であり、三輪史郎東大名誉教授との共著「血液細胞アトラス」の名著を含む多くの優れた研究業績を残されました。昭和49年には日本電子顕微鏡学会会長をされ、我が国における血液学研究、病理学研究そして電子顕微鏡学的研究の発展に大きく貢献されるとともに、多数の優れた門下生を育てておられます。  
 日本病理学会においては、昭和58年から平成元年までの6年間にわたり理事、会計幹事を務められ、昭和54年には、「ヒト好中球および白血病細胞の微細構造」の演題名で日本病理学会宿題報告(現日本病理学賞講演)をされております。また、昭和62年には日本病理学会会長として第76回日本病理学会総会を主催されました。先生の活動は病理学会のみならず、日本血液学会、日本電子顕微鏡学会(現日本顕微鏡学会)など、多数の学会の理事、幹事、評議員として活躍してこられました。さらには、医道審議会委員、学術審議会専門委員、日本学術会議研究連絡会委員など、多くの学外の公的役職を歴任されました。  
 先生は病理学の教育、研究、病理診断を通して慶應義塾大学医学部の発展に寄与されるとともに、日本病理学会の重鎮として卓越した多数の業績を挙げられ、国内外の病理学の研究発展に多大の貢献をされました。ここに渡辺陽之輔先生のご高徳に思いを深くするとともに、謹んで哀悼の意を表し、先生のご冥福を心からお祈りいたします。