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> 小川勝士先生のご逝去を悼む
日本病理学会名誉会員、岡山大学名誉教授 小川勝士先生は、平成21年10月15日、心不全のためご逝去されました。享年89歳でした。
小川勝士先生は大正9年1月24日に香川県高松市にお生まれになりました。昭和17年に東京高等歯科医学校(現東京医科歯科大学歯学部)をご卒業後、新潟医科大学に進まれ昭和20年に卒業されました。一時内科医をされたのち、昭和23年岡山大学第二病理故濱崎幸雄教授の門を叩かれ、病理学者としての道をスタートされました。昭和24年助手、27年講師、30年学位を取得され、35年文部省在外研究員としてハンブルク大学(クラウスペ教授)に留学されました。ドイツではホジキン病の超微形態を研究され、病理解剖にも従事されました。剖検の執刀が許された日本人の嚆矢であったと伺っております。ドイツとの友好関係はその後も継続され、ドイツ病理学会の外国人名誉会員に推挙されました(平成2年)。36年にはベルリンの壁が建造されはじめ、現地で歴史的出来事を経験されました。昭和37年第二病理学教室教授に就任され、以後、昭和60年3月に定年退職され名誉教授に就任されるまで、23年間教授をお勤めになり、教育、研究、病理診断業務に尽力されました。ドイツからご帰国後、研究主体をアデノウイルスによる神経系腫瘍の発癌に焦点を合わせ、その後化学発癌を含めて幅広く実験神経病理を研究されました。その成果を昭和54年病理学会総会にて、「アデノウイルス12型誘発腫瘍-とくに実験脳腫瘍へのアプローチ」と題する宿題報告をされました。学会活動としては日本病理学会、日本神経病理学会の理事、第66回日本病理学会総会副会長を務められ、昭和60年に第26回日本神経病理学会総会を岡山にて開催されました。また、国際病理アカデミー日本支部理事、日本癌学会評議員も歴任されました。さらに、診断病理関係では日本病理学会小児病理委員会委員長として小児腫瘍の分類を主導されました。
先生は温厚篤実そのもので、その姿勢は対外的にも学内的にも、また教室員、学生に対しても一貫しており常に紳士的で、弟子の指導においても声を荒げるようなところはありませんでした。さらに信念をもった行動、真摯な講義実習はある種の威厳を醸し出しており、そのようなお人柄に惹かれて当教室はほぼ毎年入局者を迎えており、現在でも多数の門下生が教室、病理部、関連病院で活躍をしております。
私どもの教室には小川名誉教授の恩師である濱崎名誉教授が定められた教室是がございます。すなわち、「診断(人体)病理と実験病理とは車の両輪のようなものであり、どちらにも力を注ぐ」というものです。現在はどの領域も発展著しく臓器単位でも限られた領域に特化せざるを得ない状況となっていますが、小川先生はご自身ではそれを体現されるよう不断の努力をされました。また、門下生の指導については教室全体として両輪が成り立つように導かれ、教室是を発展的に推進されました。
ここに小川勝士先生のご高徳に思いを深くするとともに、謹んで哀悼の意を表し、先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
平成21年11月6日
岡山大学大学院 病理学(腫瘍病理/第二病理)教室 教授
吉野 正
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